
先週末、叔父の葬儀に参列させてもらいました。
葬儀社は「花心」
色々な目線で改めて“葬儀”というものを体験させてもらいました。

花心に葬儀をお願いしたのは、今回で2回目です。
1回目は父の葬儀。
そして2回目が今回の叔父の葬儀。
私から見て、母のいとこの旦那さんになるので叔父といえど遠い親戚。
でも、子供のころからお世話になり、毎年のようにお邪魔していたので
存在としてはとても近い叔父でした。
正直、父の葬儀の事は細かく覚えていません。
どんな祭壇だったかまでは思い出せるのですが、
葬儀までの日をどう過ごして
どんな状況で迎えていたのかまでは思い出せないままでいます。
悲しさに浸っている時間というのはあまりなく、少ない時間で色んな事を考え、決めていかなくてはいけない。
一家の主がいなくなるということは、想像よりも色々と大変なんだと痛感しました。
そして、沢山の人からお悔やみの言葉と励ましの言葉をいただき、
周りの人の暖かさや“ことば”のやさしさ、そして何よりも
人に支えられて自分がいるという有難さにも改めて気付かされるものです。
今回私は、
遺族の立場であり、
葬儀社の立場でもある。
そんな不思議な位置に自分がいました。

遺影写真や叔父の顔を見ると悲しくなり、遺族の気持ちになって涙がでます。
でも、スライドショーやBGMを観たり聴いたりしている親族が
「素敵だね…」とつぶやいているのを聞いていると、
“あぁ~よかった…ゆったりとした時間でみんなが想い出に浸ってくれている”
と、自分の仕事を頑張ってよかったなという葬儀社側の気持ちになります。
式の最中も、お坊さんのお経を聞き、叔父の成仏を願っている一方で、
ふと目の前をとおるスタッフの背中を見ると、
いつもこんなふうに限られた時間内で忙しく動いているのだと実感。
普段事務所にいる為、現場の動きを少しですが実感することができました。
そしてこれはやはり、父の葬儀では感じられなかった感覚でした。
忙しい中参列して下さった方が手を合わせ、叔父の為に泣いてくれているのを見ていると、
不謹慎なのかもしれませんが嬉しい気持ちになります。
こんなにも思ってくれている人がいたんだなと、叔父は幸せだったなと思うのです。
叔母が最後に“本当に色々とありがとうね”と言ってくれた時には、
また、葬儀社の気持ちになり、“ほっ”と一安心しました。

ナーバスな状態の中で色んな事を決めなくてはいけない遺族の気持ちも、
そういった遺族の気持ちを考えながらも迅速に動かなくてはいけない葬儀社側の気持ちも私にはわかります。
だからこそ、
これから先もひとつひとつ
自分に与えられた仕事を丁寧にこなしていこうと思います。
その結果が遺族のグリーフケアにつながることを願って…。
今回、花心日記にこの記事を載せることにためらいはありましたが、
両方の立場にたったからこそ話せることがあるのではないかと思い、
載せさせて貰うことにしました。
葬儀が終わってしばらくすると、悲しさは押し寄せてくるものです。
まずは、叔母たち家族が一日でも早くいつもの生活を取り戻し、
笑顔あふれる毎日になるよう、
親戚として
また、葬儀社のスタッフとしても
アフターケアをしていけたらなと思っています。
最後に、短い時間の中で沢山の経験をさせてくれた叔父のご冥福をお祈りいたします。